「悠仁様までの皇位継承の流れはゆるがせにしてはならない」が、その後ならば女性天皇でもOK…は誰のため?――竹田恒泰氏の、竹田恒泰氏のための、竹田恒泰氏による、竹田恒泰氏の私利私欲によって、〝髭の殿下〟ばかりか、自民党を始めとする愚かな保守勢力までもが踊らされた、皇室への養子受け入れ案を隠れ蓑にした皇統簒奪計画

2026/06/13
「悠仁様までの皇位継承の流れはゆるがせにしてはならない」が、その後ならば女性天皇でもOK…は誰のため?――竹田恒泰氏の、竹田恒泰氏のための、竹田恒泰氏による、竹田恒泰氏の私利私欲によって、〝髭の殿下〟ばかりか、自民党を始めとする愚かな保守勢力までもが踊らされた、皇室への養子受け入れ案を隠れ蓑にした皇統簒奪計画

 以下では「悠仁様までの皇位継承の流れはゆるがせにしてはならないが、それ以後なら女性天皇もOK」という「中道改革連合」、および「チーム未来」に代表される主張がいかに阿呆かを扱う。

 

(Ⅰ)詐欺師対策専門家の登場――誰も思いつかなかった余りにも単純な、余りにもストレートな質問

 

 凄い人が現れた。元警視庁捜査一課刑事でインテリジェンス専門の外交官であった高野あつし氏である。竹田恒泰氏に対して九問の公開質問状を出したのであるが、ところが、竹田氏は一問も答えなかったのである。

この高野氏という方は、東大法学部卒でキャリア試験に合格していながら、普通なら地方の警察署長から始めるというのに――キャリア官僚殿に傷をお付けしないよう、大切に大切に扱われる、したがって、泥臭い現場は一生知らぬままに終わる――ところが、この方、交番の巡査からの下からの叩き上げを自ら選ばれた、警察官の鑑の様な方。(組織というのは、下から見上げないと、その組織の問題点は絶対に見えてこない。また、同時に言えることは、現場を知らない人間は組織のトップに立つべきではないし、また、現場を知らぬまま組織のトップに立つことの怖さがわからぬ人間は、絶対にトップに立つべきではない、ということである。愛子様が、母親が日赤の名誉総裁というトップの地位にいるにもかかわらず、一新入嘱託社員として日赤に入られ、毎朝机を拭いて、お茶を入れ、日赤の式典では壇上に立つであろう母には目もくれずに、朝の八時から会場準備のために椅子を運び、来賓を案内する意味、そして、娘を一新入社員として就職させた両親である天皇・皇后両陛下の凄さもここにある。一度も働いたこともないくせに、国家公務員総合職試験を突破して入庁した警察庁のキャリア官僚である宮内庁職員に向かって、「あなたは今日から国家公務員ではなく、使用人です」と平然と言ってのける紀子様の傲慢さとの違いがここにある。)

さて、話を高野氏に戻そう。インテリジェンスというのは対外諜報対策部門。要するに、一部の日本国民を扇動して我が国の政情を混乱させようとしてくる海外勢力の策動にいかに対抗するか、相手国から仕掛けられる虚偽情報、その拡散主体、そうした代理勢力の動き、その意図や脅威等をいかに迅速に見抜くか、すなわち、国家間レベルでの大規模な虚偽や詐欺を暴き無効化する専門家である。我が国が最も不得手な分野の貴重な専門家であり、今、高市総理がやっている「国家情報局」の創設というのは、遅ればせながらのそれなのであるが、ところが、肝心の高市総理本人や麻生氏までもが、竹田氏という、たった一人の人間に騙されているのでは?というのが、今日のこのお話の勘所。

 さて、興味深いのが高野氏の提出した質問(1)である。

 

質問(1):自分の一族や子弟の皇族入りの否定

「竹田さんは、自分の子や孫の皇族入りを一度も否定していませんが、明確に否定出来ますか?自分の子孫や一族を皇位にとの私利私欲のために、男系絶対主義や養子制度を20年に渡り、寛仁(ともひと)親王(=銀座で飲み歩き、浮名を流し、妻・信子妃にDVを振るった、いわゆる〝髭の殿下〟のこと。秋篠宮殿下はこの殿下の真似をした。もっとも、アル中まで真似することはないと思うのだが…。)や保守団体や政界に広めてきたのではないですか?先日、女性宮家の新継承がありましたが、ここへの竹田さんの子供の養子入りは絶対にないと宣言出来ますか?」(=三笠宮寛仁親王の死後、三笠宮家を支えてきた百合子様が亡くなられた後、夫・寛仁親王から家庭内暴力を受けていた母・信子様と、お父さん子であった二人の娘とが長年対立してきた末に――長女・彬子(あきこ)女王が母・信子妃に月十万円(生活保護費以下!)しか生活費を渡していなかったこと、彬子女王に鍵を無断で付け替えられ、三笠宮邸からの締め出しを喰らった母・信子妃が、弁護士の立会いの下、鍵屋に鍵を開けてもらい、自分の家財道具のみ、ようやく持ち出したことは有名。この長女の冷血さがよくわかるエピソード――長女・彬子女王が三笠宮家の当主となり、同時にバランスを取るためか、母・信子妃は三笠宮寛仁親王妃家を創設するという奇妙な解決がなされた。本来は母・信子妃が三笠宮家の当主を継ぐはず。ここでの「新継承」とは、実質上の初の女性宮家創設となった、彬子女王が三笠宮家の当主となったことを指す。)

 まあ、常識的に考えれば、こんな質問、速攻で笑い飛ばすとばかり思っていたら、ところが竹田氏、返答しないのである。返答しないということは、そんなつもりは一切ございません、とはXという公の場では否定が出来ないということを意味する。しかも、あれだけ「名誉毀損だ、提訴、提訴!」と言っていたはずの竹田氏が、高野氏に対しては「名誉毀損だ!」とは一言も言わないのである。

 正直言うと、この公開質問状をXで初めて見た時、高野氏という方のこともよく知らなかったので、元捜査一課っていうけど、これってちょっと見当外れの質問じゃないの?…と思って見ていたのである。というのも、常日頃、竹田氏は、「私が皇室入りするなんてことは、これっぽっちも考えてませんよ。だって、こんな下品なことをしゃべりまくってたら、皇室入りなんて、遠ざかるだけですから」という趣旨のことを述べていたからである。〝明治天皇の玄孫〟をセールス・ブランドとして、下品この上ないしゃべくりをしている自覚は、まあ、さすがにあるんだな…と思って聞いていたのである。ところが、返答しないのである。妙だな?…と、初めて筆者も思い始めたのである。あれだけおしゃべりな竹田氏が、なんで黙り込むんだ?そして、もし高野氏の仮説を適用するなら、竹田氏の今まで不可解だった動きも全て合点がいく…と気が付いたのである。

詐欺師というのは、常に常識人には思いも寄らぬ盲点を衝くものである。(=例えば、「消防署の方から来ました」と言われれば、普通の常識人は〝消防署の人〟と思い込んで、高いなあ…と思いながらも、見せられた割高な消火器を買う。まさか、こちらから見て消防署の方角からやって来ました、と言っているなどとは夢にも思わない)そして、しばしば、その手口は驚くほど単細胞的である。自分の得になることに、常識人では考えられぬほど、まっしぐらに突き進む。余りにも単純な手口なので――つまり、普通の人間は、そこまであからさまに自分の利益のみを追求することは、他人の目、世間体を気にして避けるし、そんな図々しいことは考えないものだ、避けるものだと思い込んでしまう――ところが、それが余りにも単純なトリックなだけに、普通のまともな人間であればあるほど、トリックだとは気づかない。政治家ですら気づかない。日本人全員を騙すのなら、騙す手口は単純な方が良い。複雑で精緻な手口はかえってボロが出やすい。肝心なことは、一つの嘘を百回でも二百回でも言い続けること。千回になる頃には、それは〝真実〟になる。

 さて、ここで諜報・謀略の専門家が現れる。人を騙す手口をよく知っている人物の登場である。この人物は、誰もが思いつかなかった極めて単純な質問をする。ここでは敢えて『刑事コロンボ』風に描写してみよう(=『刑事コロンボ』というのは、くたびれたレインコートを着て、低能を装い、帰ると思わせて、その一瞬の油断を衝いて、核心部分に切り込むという刑事を主人公にしたテレビ・ドラマ。人気は高かったが、主演のピーター・フォークが亡くなってしまったため、今はもう見れない刑事ドラマ。ただし、YouTubeNHKで見れるらしい。)


「ねえ、竹田さん、あと一個だけ確認しておきたいことがあるんですけど、ええ、ひとつだけです、それでもう帰りますから、そのお、職業柄、どうも妙なことが引っ掛かる人間なもんで、いやあ、気にしないで下さい、笑い飛ばして、否定して下さればそれで済むんですから…。あのお、あなた、ご自分は養子として皇室に入る気は毛頭ないと常日頃おっしゃってますけど、あなたのお子さんやお孫さんはどうなんですか?勿論、入れる気はないですよねえ、いやあ、馬鹿な質問をしてしまって済みません、そのお答えだけお聞かせ願えれば、すぐお暇(いとま)しますから…デカい政治家の選挙違反事件がありましてねえ、週刊誌より私は秘書を信じますって頑固に言い張ってるんですよ、あたしは殺し専門の捜査一課の刑事なんですけど、どうせ暇なんだろうって駆り出されましてねえ、実はうちのカミさんが、今、尿道炎で熱出してましてね、あっ、済みません、こんな尾籠な話しちゃって、今日は早く帰って晩飯作ってやるって約束してたんですけど、あたしは血生臭い物騒な方が好みなんで、選挙違反なんていう知能犯は苦手なんですよ、ここがちょっと弱いもんで、ほら、政治家の秘書さんなんて、頭のいい方ばっかりですからね、机叩いて、椅子蹴っ飛ばして、怒鳴りゃゲロするっていうわけにはいかないんですよ…ええ、で、返事は?…あのう、早く帰らないと選挙違反が待ってるんで、課長に叱られるんですけど…で、ご返事は?…えっ?…あのう…」

 返事は返って来ない。すぐに笑い飛ばせるような、まともな人間なら誰も思いつかないような、唖然とするような単純な質問なのに…。

 もし氏の男のお子様、ないし、お孫さんをどこかの宮家が養子として迎え入れるということがまだ決まっていなかったとしたら、

「いえーっ、滅相もない。そんなとんでもないことあるわけないでしょ。第一、ラーメンや墓売ってるような奴の息子や孫が天皇の父親になるなんて、有り得ませんよ、縁起が悪いですし、不敬ですよ、不敬!」

と、氏は即座に否定し得ていたであろう。たとえ、その目論見があったとしても、である。ところが、一切返答することすら出来なかったのである。つまり、否定することが全く出来なかったのである。これは何を意味するのか?

 今、否定したら、「この野郎、嘘ばっかりつきやがって、結局は自分の子供・孫入れるなんて、あの時から決まってたんじゃないか!」と、国民から激怒されるからである。もし今の段階から実は国民を騙していた、などということが白日の下にさらされたら、生粋の右翼は黙ってはいないであろう。滅多刺しに刺されるか、バールで頭を滅多打ちにされるか、そのどちらかであろう。

(暴力を肯定しているわけでも、また、氏がそのような目に会えばよいと言っているわけでもない。ただし、その程度の覚悟はないと、〝悠仁様の東京大学不正入学反対署名〟すらも立ち上げられないし、皇室問題に関して何かしら意味のあることを発言することすら出来ないということである。二年前のあの当時、筆者は確かにその覚悟をした。)

この〝現代版の道鏡〟は、本物の暴力に対しては極めて気弱で臆病なのである。いつも「そうですよね」と相槌を打ってくれる社員である周りのスタッフ、いつも自分の言うことを聞いてくれる顧問弁護士、そうした取り巻きに取り囲まれていぬと、録画も裁判も出来ぬ臆病者、結局は道鏡ほどの胆力も持ちあわせてはいぬ、小心者に過ぎない。

 

 

(Ⅱ)では、なぜ養子は皇室では禁じられてきたのか?

 

大昔から、皇族が養子を迎え入れることは禁じられてきた。これは戦後の皇室典範でも、戦前の明治期以降の旧皇室典範でも、それ以前の大昔でも変わらない。一度臣籍降下してしまい、皇族の身分を離れてしまったら、二度と皇族には戻れない、これが古代からの鉄則であった。(もっとも、宇多天皇とその息子の醍醐天皇の例外はある。ただし、宇多天皇は光孝天皇の第七皇子であり、また醍醐天皇は現在に至るまで臣籍の身分として生まれた唯一の天皇であるが、父の皇籍復帰と即位に伴い、生後2歳で皇族になっている。いずれも、後述するように、二十世も離れた旧宮家の養子案とは比較にならない。)

旧皇族というのが、〝皇族〟という名称は謳ってはいるものの、天皇家の家系からどのくらい離れているのか、ということは、実際に調べてみればすぐわかる。男系に限定すると、天皇家との共通の祖先は室町時代の貞成親王にまで約600年遡る必要がある。600年も離れていると言うと、いやいや天皇家2600年の歴史から見るならば大したことではないと、次のようにおっしゃる向きもあるかも知れない。

 

「これらの方々(=当時旧宮家にいらした八人くらいの独身男性のこと)と今の天皇家との共通の祖先は南北朝時代の崇光天皇まで、六百年もさかのぼらなくてはならないと反対する人もいますが、二千六百六十年の歴史からしますと、六百年くらいは十分に許容範囲です。」(寛仁親王殿下のご発言。櫻井よしこ氏とのインタビュー:「天皇さま その血の重み――なぜ私は女系天皇に反対なのか。わずか一年の議論で決定。これは皇室伝統の破壊ではないか――」より)

  

〝わずか600年〟と言えるかどうかは、歴代の天皇がその直前の代の天皇から、通常、何世代離れていたかを見ないとわからない。


(高野あつし氏のYou Tube動画:「皇室の世紀の大タブー『乗っ取り疑惑』。あの容疑者は逃走中!…」、2026524日より転載。)

 

(この表の見方には注意!我々の普通の用語法では、例えば、「なに?この会合の顔ぶれ。みんな二世議員ばっかじゃない!」という時、親の地盤を引き継いで議員になった息子・娘のことを指して、そう言う。つまり、〝二世〟が子供を指し、したがって一代目の議員だった親本人は〝一世〟となる。ところが、ここでは数え方が異なり、「一世」が子供、「二世」が孫を指す。つまり、普通の数え方とはひとつずつずれていく。これは「親王」(天皇の子供)から始めて「一世、二世…」と数えるためである。したがって、「旧宮家は二十世」というのは、〝天皇の子である親王から数えて二十世〟ということであり、普通の用語法では二十一代目ということになる。詳しくは後述。)

上の表からわかることは、五世離れていたのが(つまり、日常語での〝六代目〟に当たる)、例外的な継体天皇(=実在が確定しているとされる最初の天皇。これ以降の天皇は全て実在。)一例だけで、その他は三世(ひ孫)までで留まっている。600年前と言うと、そんなもの大したことない…と言われればそのような気にもさせられるのであるが、ところが、二十世も離れていると言われてしまえば、話が違う、ということになってしまう。源頼朝でも十世離れている。あれだけ栄華を誇った平清盛でさえ、十一世離れていたから、天皇を名乗ろうとは決してしなかった。旧十一宮家が臣籍降下したのが1947年であるから、あれから79年経っている。同時期に、おぎゃーと生まれたとしても、もう79歳のお祖父さんである。養子候補となるのはそのまた孫の世代であろう。二十二世(二十三代目)ということになる。皇位継承資格を持てるのはそのまた子供の世代になるから、二十三世(二十四代目)ということになる。二十四代目ということは、遺伝子的に言うと一世代経るごとに伝わる遺伝子は二分の一になるから、二十三世(二十四代目)の養子の子が天皇になる場合、その天皇は崇光天皇の(1/2)23乗の遺伝子を受け継いでいることになる。(=0.523回掛けるのだが、まず、天皇の子(一世で二代目)が、1×0.50.5で、50%の遺伝子を親から受け継ぐ。孫が二世で三代目で、0.5×0.50.25で、25%の遺伝子を受け継ぐ。そうやってどんどん計算してゆくと、0.25×0.50.1250.125×0.50.06250.0625×0.50.031250.03125×0.50.0156250.015625×0.50.00781250.0078125×0.50.003906250.00390625×0.50.001953125となり、8回掛け合わせただけでも(八世で九代目)、もう祖先の天皇から受け継いだ遺伝子は0.1953125%になってしまいます。疲れたのでこれ以上はやめますが、理工系の計算機をお持ちの方は0.523乗を簡単にお出来になると思いますので、おやりになってみて下さい。どんどんゼロに近づいてゆくのがわかります。要するに、ほとんど赤の他人!

〝新皇〟を自称して「平将門の乱」を起こした将門でさえ、桓武天皇から数えて五世の皇胤(来孫)であり、系図上の位置づけは以下の通りでした。

1. 初代(零世:本人)桓武天皇(遺伝子共有率100%

2. 二代目(一世:息子)葛原親王(かずらわらしんのう・皇子:遺伝子共有率50%)

3. 三代目(二世:孫)高望王(たかもちおう・ここで「平」の姓を賜り臣籍降下:遺伝子共有率25%))

4. 四代目(三世:ひ孫)平良将(たいらのよしまさ・将門の父:遺伝子共有率12.5%

5. 五代目(四世:玄孫):平将門(遺伝子共有率6.25%

 

要するに将門は、〝桓武天皇の孫であり平氏の姓を授けられた高望王〟の孫であったのであり、鎮守府将軍となった平良将の子でもあったのである。旧宮家などよりはずっと高貴な血筋であったことになる。将門が〝新皇〟を自称出来た背景には、こうした天皇に連なる貴種としての自らの血の濃さの自覚があったゆえと思われる。(それでも遺伝子共有率は6.25%で、10%を切っており、余り高いとは言えない。ちなみに、〝明治天皇の玄孫〟を自認していらっしゃる〔ただし、女系〕竹田恒泰氏の遺伝子共有率も6.25%ということになる。)

では、古代において、どこまでが皇位継承権を持つのか?その基準はきまっていたのであろうか?

決まっていたのである。大宝律令(701年)の次に出来た律令に、養老律令というものがある。(718年に完成したものの、朝廷内での混乱などのため、実際に施行されたのは、編纂から約40年後の757年になってから。)これは、大宝律令の内容を修正・拡充したもので、基本となる法律の枠組みに大きな違いはないが、条文がより綿密に整備されている。(ここで、「律」とは、今でいう刑法、「令」は、今でいう行政法・民法・訴訟法などを指す。)

この養老令の13番目に「継嗣令」という、わずか4条しかない「令」がある。その第1条である「皇兄弟子条」で規定しているのである。まず、原文を引用する。


「凡皇兄弟皇子。皆為親王。女帝子亦同。以外並為諸王。自親王五世。雖得王名。不在皇親之限。

 

一・二点を付ければ少しわかりやすくなるのであるが、Voiceでは残念ながら表記出来ないので、書き下し文を以下に示す。

 

「凡(およ)そ皇(おう)の兄弟、皇子をば、皆、親王と為(せ)よ。〈女帝(にょてい)の子も亦(また)同じ。〉以外は並に諸王と為(せ)よ。親王より五世は、王の名得たりと雖(いうと)も、皇親(こうしん)の限に在(あ)らず

(「『女帝』の言説史――神功皇后論と継嗣令第一条の解釈を中心に」斎藤公太、神戸大学文学部紀要, 50:119-143, 2023, URL: https://handle.net/20.550.14094/0100481155

129頁より引用。なお、上掲書き下し文に付された注によれば、出典は「『日本思想体系3 律令』(岩波書店、1976年)281頁。本注の部分は引用元では細字で表されているが、ここでは山カッコで示した。」(142頁、注29とのことである。)

 

上記書き下し文を、さらにわかりやすく現代語訳すれば、

 

「01       皇兄弟子条

天皇の兄弟、皇子は、みな親王とすること{女帝の子もまた同じ}。それ以外は、いずれも諸王とすること。親王より五世(=五世の王 *ここでは親王を一世として数える)は、王の名を得ているとしても皇親の範囲には含まない。

(「付録:現代語訳『養老令』全三十編:第十三 継嗣令 全04条(最終更新日:00.03.26」より)

http://www.sol.dti.ne.jp/hiromi/kansei/yoro13.html

 

この「女帝の子もまた同じ」という部分は、素直に読めば、前文の「凡(およ)そ皇(おう)の兄弟、皇子をば、皆、親王と為(せ)よ」を受けてしまうから、女性が天皇の場合も同様であり、兄弟、皇子は、みな親王とするのであり、よってみな皇位継承権を持つ、と解されてしまう。つまり、

 

「そもそも女性天皇の即位は六~八世紀に集中的に見られるが、倭(日本)の社会はいまだ男女双系の親族結合が基盤となっていたため、女性天皇の即位は決して『中継ぎ』としての特異な事例ではなかったとされる。しかし七世紀末~八世紀初頭に律令を導入したことにともない、中国社会の男系継承の原理も普及することになったという。他方で双系的親族結合も部分的に残存していたため、皇兄弟子条のもととなった唐封爵令には見られない『女帝子亦同』という独自の規定が挿入されることになったというのである。」

 

斎藤氏は前掲論文(130頁)で、女帝論者たちに対して、このように批判的に述べる。この論文によると、「女帝子亦同」の〈〉や{}の意味が筆者にはわからなかったのであるが、どうやら我が国独自の挿入句らしい。ご存知の方はコメント欄で是非お教え頂きたい。ただし、今はもう、申し訳ないことに、事態が急速に流動化しており、情報収集と「経過報告」による情報発信のために忙殺され、皆様のコメントに目を通す暇もなく、睡眠時間を削っている状態。したがって、ここで用いている資料もパソコンで検索出来るものばかりであり、筆者の日本古代史の知識など、にわか勉強に過ぎない。今朝の明け方、やっとコメントの一部分だけ読めた。だから、お教え頂いても筆者がそのコメントを発見出来るのは、かなり時間的に後になるかも知れないことは前もってお断りしておく。署名して下さる三人におひとりがコメントを書いて下さっている計算になり、膨大な数のコメントになっている。筆者の身体をご心配して下さっているコメントも多く、とても有難いのだが、実情を申し上げると、座位が長時間保てず、痛み止めを飲んでも痛くなるので、痛くなると横になり、しばらくして痛みが治まると、また起き上がり、パソコンに向かう。高ストレス状態で、頭だけがフル回転し、食欲が全くなくなり、ただし、食べないとまた肺炎になるので、無理やり食べ、頭が働く限り打ち続け、限界になると、とにかく眠る、という悲惨な状態。博士論文を書いていた時よりきつい。だから、竹田氏との裁判はいい気晴らしになる。

さて、素直な読み方に戻ると、この読み方だと女性・女系天皇を古代日本は認めていたことになってしまい、政治的に大変なことになるので、昔から大論争になっていて、ちょっとド素人の筆者などが首を突っ込める状態ではないので、このままにしておく。ただし、ひとつ言っておくと、上掲引用部分に記されている通り、古代日本の律令というのは、中国の唐の律令を模範としたものであるのだが、上記の「皇兄弟子条」の元となった「唐封爵令」には「女帝子亦同」という挿入はなく、わが国独自のもの、とのこと。

さて、ところがここで問題としているのは、女帝の場合も男性天皇の場合と同じように皇位継承権が認められていたのか否か、などという厄介な問題では全くなく、何世まで皇位継承権があったか?という、はるかにシンプルで、論争の的にもなっておらず、答えが明瞭な問題である。

 答えは、四世(五代目)までであり、五世(六代目)以降は皇位継承権を有しない。〝旧宮家からの養子〟などが付け入る隙はどこにもない、ということである。

 

「親王より五世は、王の名得たりと雖(いうと)も、皇親(こうしん)の限に在(あ)らず。(親王より五世(=五世の王 *ここでは親王を一世として数える)は、王の名を得ているとしても皇親の範囲には含まない。)」

 

極めて明瞭であり、ここに他の解釈の付け入る余地はない。現在我が国で議論されている、二十世に当たる旧宮家の子孫から養子を取り、さらには、その二十三世に当たる子供を天皇にするということが、天皇家の歴史から見て、どのくらい非常識なことかということは、余りにもはっきりしていることなのである。

 

 

(Ⅲ)旧宮家からの養子案――歴史的に前例のないタブーの侵犯

 

さて、ここでさらに問うべき問題は、では、皇位継承権を有するのは四世まで、などというこんな窮屈な縛りが、なんでまた古代日本から明治の旧皇室典範を経て戦後の現皇室典範に至るまで、〝皇室での養子の禁止〟という形で連綿と続いていたのか?ということであろう。つまり、現在〝全体会議〟で導入されようとしている案、すなわち、今から約80年前にいったん臣籍降下し、皇統から二十世も離れた旧十一宮家から皇族へ養子を迎え入れようという案が、女系天皇の導入以上に(女性天皇は古来存在したし、女系天皇も一例ある。)、いかに歴史上前例のないタブーを犯そうとしているのか、ということである。要するに、我が国の〝国体〟を破壊しかねぬ、とんでもない行為なのであり、「長い歴史を持つ日本の国体に対して、私たちは常に謙虚であらねばならない…我が国の長い歴史の中で、民間人の男性(=ケケ田の息子や孫!)が皇族となった例は一例もありません。当然、その男性のお子さん(=ケケ田の孫やひ孫!)が天皇になった例も一例もありません。…軽い気持ちで、長い歴史上一例もなかったことに踏み込んでいいものと考えません。…国体に関することを、…現代の我々の、…浅知恵で変えることに関しては畏れる気持ちを抱くことが正しい…」という主張は、真正な保守を名乗る人間であれば当然に抱くべき主張であると思われるが、いかがか?

 では、なぜ古来から我々日本人は、一度臣籍降下した旧皇族、ないし、その子孫が養子として皇族に復帰することを阻んで来たのか?

 それは、いわゆる〝道鏡事件〟を見るとわかる。君臣の別は奈良時代後期(769年)の、いわゆる〝道鏡事件〟において和気清麻呂が宇佐大神から受けたという託宣

 

「わが国は開闢以来、君臣(の分)定まれり。…天つ日嗣(天皇)は必ず皇緒(天皇の血統に属する皇族)を立てよ」

(『続日本紀』:京都産業大学名誉教授・所功、「『男系』『女系』の誤用解消から出直そう」令和8年〔2026年〕417日より引用)

 

にまで遡る。所氏の注釈ではまだわかりにくいので、竹田恒泰氏の『検定合格 市販版 国史教科書 第7版 中学校社会科用』、令和8325日、95頁より引用すれば、

 

「我が国は始まって以来、天皇と臣下の区別は定まっていて、臣下が天皇になった例はない。皇位には皇統の人を立て、無道の人は排除せよ」

 

となる。(さすがにわかりやすく、よく出来ている。まあ、せっかく褒めておいて、すぐ嫌味を言うのも上げたり下げたりで大人気ないが、氏に対してことさらに嫌味を言えば、「無道の竹田家は排除せよ」となる。)

要するに、男系男子の養子案は、明治の旧皇室典範に立ち返るものですら全くなく、旧皇室典範でも禁じられ、古代の日本でも禁じられていたことを、我が国開闢以来、初めて可能とするものであり、前例などないものなのである。

さて、この禁止は、一種の先人の知恵であったのである。つまり、この〝禁止〟は、旧宮家などよりも、そして、〝神武天皇以来、126代連綿と続いて来た万世一系の男系男子継承〟などという歴史学の検証には到底堪えられない、まがい物の〝自称伝統〟などよりも遥かに昔から守られてきた〝真の伝統〟であったのであり、これを侵すことは本当の禁忌(タブー)を犯すことになるのである。

では、なぜ皇族外からの皇族への養子縁組が、大昔から現在に至るまで禁じられて来たのかという理由は、天皇政治の最も奇形的形態であった摂関政治を見るとわかる。時の権力者が自分の娘を天皇の后として入内させ、権勢を振るったのであるが、これが娘ではなく、自分の男の子供・男の孫を天皇家の養子に入れ、そのさらなる子供(=孫・ひ孫)を天皇にしてしまえば、天皇の義父などというまどろっこしい話ではなく、天皇の祖父・曾祖父に自分が直接なれてしまうのであるから、もっと話は早く、もっとコスパよく権勢が振るえる、ということになる。そしてもはやこれは大和朝廷から続いて来た天皇王朝の断絶と滅亡、そして、竹田王朝の勃興を意味する。

(誤解を招かぬよう言っておけば、筆者は竹田氏がラーメン屋を経営しているから馬鹿にしているのではない。ラーメン屋は、一杯千円弱で温かさと幸せを売ることの出来る商売であり、一生を賭けるに値する事業である。もし、それに専心し、一職人として努力し研鑽し続けるのであれば…。しかしながら、竹田氏は違う。慶応義塾大学非常勤講師、教科書執筆者、古墳墓地、宝石商、果ては仮想通貨まで、肩書として偉ぶれそうなもの、あるいは、儲かりそうなものには何にでも手を出す。だから筆者は氏のラーメン業を軽蔑する。〝作家〟などという曖昧な肩書ではなく、本気で研究者になりたいのであれば、今からでも勉強し直し、慶応大学の修士課程の院の入試を受けることを真剣にお勧めする。法学部法律学科卒であり、民法がお強いようであり、かつ、会社経営もなさっているから、会社法や債権法もお詳しいのかも知れない。法学研究科・修士課程の出願登録が6月30日まで、第一次試験(筆記)が9月16日、第二次試験(口頭試問)が9月17日であるから、なんとか間に合う。準備が間に合わなければ春期試験でもよい。語学の試験がネックになるであろうが、英語だけであり、普段使っていればなんとかなる。さらに社会人入試(ただし、専修コースのみ)で「政治学」を選択すると、英語の試験も、TOEFLまたはTOEIC等のスコアの提出も免除される。ただし、試験科目は「公共政策」になる。ごりごりの民法の勉強よりも、「政治学」の方が氏には向いているし、氏の興味もどちらかというと、そちらの方では?

年齢は関係ない。年取ると体は動かなくなるが、意外なほど頭は動く。しかも、理系は若いうちが勝負だが、文科系の場合、一度社会に出ていると、問題意識はその分鋭くなっていて、論文になると、そこらの東大生も東大教授も寄せ付けぬほどの、圧倒的な強さを発揮出来る。貴兄の現在の政治的問題意識を潰す必要は何らない。それを学問的に補強して行けばいいだけである。事実に即して正確に、かつ、論理的に精密に彫琢していけばよいのである。修士号・博士号を持っていないと、学会にも所属出来ないし(通常、学会員二名の推薦が必要)、研究論文を発表する場も与えられず、いくら教科書を執筆しても、研究者としては一生認められずに終わることになる。

慶応義塾大学の院の入試に関する情報は以下のサイトを参照して頂きたい。

https://www.keio.ac.jp/files/a437558ffce9a065f83b64930b05e1376fba4905f38d9906d73d66ba6001f926

 

 

(Ⅳ)皇統簒奪への周到な深慮遠謀

 

竹田氏を、〝ラーメンと墓売りしか出来ない商売人〟などと馬鹿にしてはいけない。馬鹿にすると、ことを見誤ることになる。氏がどうやって天皇の祖父・曾祖父となろうとしているのか、皇統を簒奪してどうやって竹田王朝を築こうとして来たのか、20年がかりのその深慮遠謀をこれから解き明すこととする。

 まず、当時の皇族の中で一番ガードの甘かった、今は亡き寛仁(ともひと)親王殿下をけしかけて、殿下と櫻井よしこ氏とのインタビュー記事を成立させ、政治的ご発言をすることの出来ない陛下(今の上皇)のお気持ちを寛仁親王殿下が代弁しているんだと錯覚させて、神社本庁・日本会議を扇動した。この経緯を、竹田氏自身がいささか自慢気に語っている対談本がある。

 

「三笠宮寛仁親王殿下は、議論が盛んになっていた頃(=女性・女系天皇を認めた2005年の『有識者会議報告書』が出て、『愛子様、可愛いからいいんじゃないですか』などと一般の人がTVのインタビューで答えるようになった頃)、ちょうど私が宮廷に行った時に、『恒泰君、もう女系天皇というのはしようがないのかね』と御下問がありました。私は『いえいえ、何を仰いますか』と、継体天皇の事例をはじめ、皇位継承の危機に際して先人たちが工夫しながら男系の皇統をつないできた経緯や、旧皇族を活用することで男系を保つ方法があることを申し上げました。

すると寛仁親王殿下は、そのようなことをご存じではなかったようで、『まだ男系を守る方法はあるのだね』とお喜びになり、『分かった。今日うちの娘を連れて帰っていいから。お前が新たな宮家を作れ』と。それであわてて『畏れ多いにもほどがあります』と拝辞しました(笑)。

もちろん、これは寛仁殿下一流のジョークです。それほど殿下は、男系の皇統が断絶することに対して深く悩んでいらっしゃったということです。私はこの際に、かなり詳しく説明させて頂き、以来、殿下は完全に男系維持派におなり遊ばしました。

その後、私が『語られなかった皇族たちの真実』という本を上梓し、寛仁親王殿下も男系維持をするべきだという趣旨の記事をある福祉団体の機関紙に投稿なさり、大きな議論が巻き起こりました。半年程度の国民的議論の末、紀子妃殿下のご懐妊の前段階の世論調査で、女性・『女系』天皇に賛成の人は半年の間に激減し、六割もしくは五割台まで下がったのです。たった半年の間に4000万人位が意見を変えたということを意味します。

あの時は旧宮家の一員から反対意見が出て、さらに現職の皇族からも反対意見が出たということで、一気に議論が活性化し『過去に女性天皇はいたけれど、女系天皇はいなかった』と気づいた人も大勢いたのです。その結果、賛否はトントンぐらいまでに落ち着いてきたわけです。それが小泉内閣の時の状況です。…(後略)」(門田隆将・竹田恒泰『なぜ女系で日本が滅びるのか』、Kindle, p. 117-118. この部分の指摘も高野氏に負う。)

 

神社本庁(=神道政治連盟)と日本会議と旧統一教会(=竹田氏は200912月に旧統一教会系の『世界日報』の読者でつくる「世日クラブ」で、「皇室の弥栄〔=読みは「いやさか」。「弥(いや)」は「ますます・いよいよ」、「栄(さか)」は「繁栄」。幾重にも栄えが続くようにという意味〕」と題した講演を行っている。さらに、2016年〔平成28年〕831日には、世界日報社『ビューポイント』に「天皇陛下『お気持ち』表明に思う」を寄稿、翌月にも皇室についての記事「祈る存在が象徴の本質」を寄稿している。)を動かすことが出来れば、これはもう膨大な票田ですから、票欲しさの保守政治家たちを動かすなんて、後は簡単です。そこへ思いも掛けずに紀子様の〝ご懐妊テロ〟が重なってくれたので、予想以上に事は上手く運んだというわけです。 

さて、養子案の法案が国会を通り、法案として成立したとします。この養子案で、竹田氏の子・孫以外の旧宮家の子孫が手を挙げれますか?ヤクザの世界と同じで、皇族に一度なってしまったら、もう足抜けは出来ないんです。予想以上に不自由だから、今年いっぱいで俺やーめた、というわけにはいかないのです。さらには、一度出てみて、やっぱり世間の風は冷たいから、また入ろう…なんてことは、お風呂じゃないんですから勿論出来ません。

冗談はさておき、本題に入りましょう。好きな女性と結婚出来ますか?男の子を彼女は生まなくちゃいけないんですよね。生めなかったら、飽くまでも二人は、種馬と種を蒔くための畑として入って来たわけですから、毎晩努力するわけですけど、いくら毎晩努力しても、出来ないものは出来ない。そうなったら、夫婦もろとも、「この税金泥棒!ちっとも子孫を残さないじゃないか!」と週刊誌やネットで罵倒されかねないことになります。こういう状況が予想された上で、手を挙げること出来ますか?ちょっと怖くて手は挙げれませんよね。

そうすると、ここで竹田氏の男のお子さんやお孫さんだけが手を挙げたとします。でも、竹田氏の子供や孫だって、同じプレッシャーにさらされるんじゃないの?と思いますよね。ところがここで、例の「悠仁様までの皇位継承の流れはゆるがせにしない」が効いてきます。飽くまでも「悠仁様まで」なんです。そのあとはどうでもいいんです。女性天皇でも、女系天皇でもいいんです。なに、男系男子が伝統だって?そんなこととっくに忘れたよ!…でも、もういいのです。一見国民の意思を半分は聞いて上げたよ…的なイメージを醸し出すこの部分が、実は竹田氏にとっては重要な部分なのです。

いったん竹田氏の孫、あるいはひ孫に皇位が移ってしまえば、つまり、竹田氏が天皇の祖父、ないし曾祖父になってしまった後なら、多分悠仁様以後の時代になっていますから、男の子でなくても皇位は継げるのです。男の子でも女の子でも、果ては〝国民の総意〟を一見尊重したような見せかけの下、女の子の女の子が皇位を継いでも(女系天皇の、めでたき誕生です!)、何でもかんでもいいのです。これなら竹田王朝、ずっと続いて行きませんか?

これは飽くまでも邪推に過ぎませんが、今回の動きに麻生太郎氏が深く関わっているところを見ると、竹田家が養子を出し、三笠宮家の当主に今回異例の動きでなった彬子(あきこ)女王がその養子の受け入れ先となる(彬子女王は麻生太郎氏の姪に当たります。要するに、麻生氏は利害関係者であり、普通こうした動きは、皇室の政治利用になりかねないので、政治家として本来は慎むべきはずなのですが、慎むどころか、今、彼は保守勢力の先頭に立って動いています。呆れた〝インサイダー取引〟です。)、これら二者の間では、とうに話は着いていると見るべきなのかも知れません。決まってしまっているからこそ、「ここ(=彬子女王のところ)への竹田さんの子供の養子入りは絶対にないと宣言出来ますか?」という高野氏の問いに対して、積極的に嘘をつくことも出来ず、〝答えない〟という形ではぐらかすことしか恐らく出来なかったのでしょう。(この竹田氏の態度は、それ以前には高野氏とX上で派手にやり合っていただけに、妙なのです。最初から相手にしなかったのであれば、まだ理解出来るのですが…。あるいは、繰り返しになりますが、お得意の「名誉毀損で提訴します!削除しても訴えます!」となるのであれば、十分理解出来ます。あるいは、人は図星されると黙り込む…という、そちらの方なのでしょうか?)

これが筆者の邪推であるとおっしゃるのであれば、今からでも遅くはないので、高野氏に対して、そのようなことは絶対にない、と宣言して差し上げて下さい。そのような宣言を貴兄がしない限り、今回の皇室典範改正は、保守勢力をも欺いた――そして、哀れにも、高市総理はその捨て駒とされたわけですが――貴兄による皇位簒奪計画の一環であると筆者としては高野氏と共に見なさざるを得ません。

 

結語

 

基本的に押さえるべきは、次の二点です。

(1)現在、大和朝廷から続く天皇家の血筋は次の二系列しか事実上は残されていないこと。

(1-a) 今上天皇から➡愛子様へとつながる系列。

(1-b) 秋篠宮文仁殿下から➡悠仁様へとつながる系列。

(2)現在はまだ明確にはなっていないが、三笠宮家の当主となった彬子女王が旧宮家から迎える養子から➡その子(この子供は皇位継承権を持つ)へとつながる系列。

 

では、どうやったら(2)の系列のみを残せるか?つまり、同じことを逆の言い方で、より露骨に言い換えれば、どうやったら (1-a) (1-b) の血筋を皇位継承から外すことが出来るか?これが恐らくは竹田氏が解かなければならなかった連立方程式です。

まず、比較的簡単な (1-b) から解きましょう。いったん皇統を秋篠宮家に移してしまえば、皇統が悠仁様までで行き詰まることはもはや十分予見可能であり、しかも、いったん秋篠宮家の家系に皇統が移ってしまえば、愛子様まで戻ることは、もはやあり得ません。これで (1-b) の血筋を絶やさせるのは簡単に出来ます。ここで重要なのは、とにかく皇統を天皇家から秋篠宮家に移してしまうことです。愛子天皇待望論などというのは最も邪魔です。秋篠宮文仁殿下や悠仁様を敬っているから秋篠宮家に皇統を移すのではなく、悠仁様のところで皇統を絶滅させることが出来るから移すのです。(1-b) で血筋が絶えれば、自動的に(2)のみが皇位継承権を持つことになりますので…。

 

ところが、厄介なのが (1-a) です。今上天皇から愛子様へ、という直系長子への皇位継承というのは、国民の目には最も自然なものに映りますので、非常に邪魔です。そこで次のように画策します。

 

(画策1):頭の悪い国会議員の〝脳髄〟(=筆者の言葉ではない。明治の旧皇室典範制定時、伊藤博文に反対し、我が国民の脳髄は男尊女卑思想に犯されているから女性・女系天皇など到底無理だ、と言って伊藤の主張を退けた井上毅〔こわし〕の言葉。)に、〝我が国は神武天皇以来、126代、2600年もの間、一度の例外もなく男系男子の天皇で連綿と受け継がれてきた〟という〝とんでも学説〟を叩き込む。こうすることで、愛子天皇という男系女性天皇の出現が、歴史上のとんでもない異物であるかのような印象操作をする。歴史上、八人・十代の女性天皇がいた、などという都合の悪い事実は消してしまう。

 

(画策2):公務の担い手が不足していると声高に叫び、旧宮家からの養子案を持ち込む。

 

(画策3):さらに、養子案が唐突で不自然に見えぬよう、公務の担い手不足解消のため、女性皇族が結婚後も皇族に留まることが出来るようにします、という案も入れておく。

 

(画策4):ただし、女性皇族の配偶者・子は皇族にはなれない、とし、そして、皇族ではない以上、当然、子は皇位継承権を持たない、とする。(=わかりやすく具体的に述べれば、愛子様ご自身が皇族に留まったとしても、愛子様の夫・子は皇族になれず、愛子様のお子様は、皇族でない以上、皇位継承権は与えられない。要するに、愛子様からの系統の子孫には、皇位継承権は永久に与えられない。全てただの一般国民となる。)結婚後も女性皇族が皇族であり続けたとしても、子は皇族にはなれないのであるから、一代限りの皇族に過ぎず、その女性皇族が亡くなれば、皇族数は減るのであるが、そこは言わない。また、保守層に対しては、女性皇族の子を皇族とせず、皇位継承権も与えないのは、女系天皇の出現の可能性を前もって摘んでおくためだ、ともっともらしい説明をして納得させておく。)

 

(画策5)「皇嗣」という名称が、実際には皇位継承暫定一位を意味するに過ぎないにもかかわらず、〝皇位継承順位が変更されることなどとんでもないことだ〟という印象操作を国民と国会議員に対して行い、「悠仁様までの皇位継承の流れをゆるがせにしてはならない」と言い立て、皇位継承が愛子様には行かず、秋篠宮家に移るよう画策する。(上皇陛下がお生まれになった瞬間、それまで皇位継承順位第一位であった昭和天皇の弟・秩父宮親王は第一位から第二位に変わっているが、特にどうということはなかった。秩父宮が暫定一位である皇嗣になられた時も、「皇嗣礼」などという儀式も行われていない。「皇嗣礼」などという儀式を行ったのは秋篠宮文仁殿下が初めてであり、これは歴史上一度も存在しなかったにもかかわらず、秋篠宮の権威付けのために安倍元総理がでっち上げた、〝まがいもの〟の儀式である。海外にはその経緯はバレていたので、恥ずかしいことに祝電が一通も来なかった。正に〝日本国の恥〟である。)

 

さあ、これで用意は整いました。厄介な (1-a) を無事排除し、予測通り(2)だけを残すことが出来るでしょうか?

行きます!

たとえ愛子様がご結婚された後も皇族の身分を保持され、男のお子様がお生まれになったとしても、自民党を筆頭とする保守勢力の案によれば、配偶者と子供は皇族ではなく、愛子様のお子様には皇位継承権はもちろん与えられません。そうなれば、愛子様の存在はもはや何の邪魔にもならず、竹田氏の孫やひ孫がめでたく皇位継承権を継ぐこととなり、天皇家の家系を根絶やしにさせることが可能となります。

女性皇族に結婚後も皇族の身分は保持させるところまでは許しても、配偶者と子には皇族の身分を与えず、子に皇位継承権も与えない、という規定が効果を発揮するのは、正にここでです。〝子に皇族の身分を与えると女系天皇につながる恐れがあるから反対だ、愛子様が男系女性天皇として即位してしまえば、国民の声としては、どうしてその子に天皇を継ぐことが出来ないのか?ということになり、女系天皇の誕生につながるから危険だ〟というのは、保守層を説得するための氏の極めて巧妙な表向きの口実に過ぎません。(正直言って、氏がなぜこの部分に妙にこだわるのか、参政党の神谷氏のことまでも、なぜあそこまで口汚く罵るのか、今までわかりませんでした。)竹田氏の真の狙いは、たとえ愛子様ご本人がご結婚後も皇族であり得たとしても、所詮それは一代限りの皇族に過ぎず、愛子様からの血筋の系列を皇族から永久に排除してしまうこと、そして同時に、悠仁様からの血筋の自然消滅をも狙うこと。悠仁様の系列の血筋が途絶えたからといって、愛子様の系列の血筋に戻すことは、愛子様の子孫は皇族にもなっておらず、皇位継承権もそもそも与えられていないのであるからもはや不可能。だから、養子の系列に皇位を移すしかもう道は残されていない…。

皇位継承権を持った天皇の血筋を絶やさせるためには、まず第一に、今上陛下から直系長子の愛子様へ、という系列から皇統を外すこと、そして、第二に、秋篠宮家に皇統を移させた上で、悠仁様の代で血統を途絶えさせること、この二つが絶対に必要なのです。

最大の障害が愛子様の存在であり、愛子様に対して抱き続けている国民の希望であることは、もはや火を見るより明らかでしょう。愛子様さえ排除出来れば、大和朝廷から連綿とつながってきた天皇家の血筋の絶滅させ、めでたく竹田恒泰家の血筋だけを王朝として残すという、20年がかりの氏の壮大な大仕事が完成するのです。

以上が、(1-a) (1-b) との双方の血筋を皇統から排除し、600年前に天皇家から分かれ、皇位継承順位108番目に過ぎぬ(高野氏、2026527Xより。出典は「ブログ 水間条項『国益最前線』201751日付」での皇族と皇別摂家と旧皇族の全120名を皇位継承順に並べた一覧表より)竹田恒泰家が、養子案を利用して、悠仁様の次の第3位に一挙に駆け上がって皇位簒奪をしようという謀略の全貌です。(=なお、「皇別摂家」とは、五摂家のうち、江戸時代に皇族が養子に入って相続した後の三家(近衛家・一条家・鷹司家)、および、その男系子孫を指す。)

高野氏の指摘に答えぬ限り、貴兄のこの20年間にわたる動きは、天皇王朝を滅亡させ、竹田王朝による王朝の簒奪を目指したものであると、筆者はそう判断し、そう言い続けます。

竹田さん、痛くもない腹を探られたくないのであれば、高野氏の質問に誠実に答えて頂けませんか?それとも、あなたはやはり我が国の保守勢力をも騙して道具として使った〝現代版の道鏡〟なのですか?

 

     2026年6月13日

            赤門ネットワーク記


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