樋上 聖
教育現場でも教師の認識が甘ければ、生徒同士の性被害は「よくある問題」や「子どもの悪ふざけ」にすり替えられ、事実がもみ消されてしまう。被害を受けた側は救われず、加害側には罪の重みが伝わらない。
だからこそ厳罰化は、「罰したいから」じゃない。「これ以上、同じ痛みを生ませないため」に必要なんだ。犯罪を抑止し、社会全体の基準を明確にする。それは被害者を守る盾であり、未来の加害者を生まないための線引きでもある。
厳罰化を求めて戦っている人たちは、誰かを叩きたいんじゃない。守るべき命と尊厳を守ろうとしている。怯えて暮らす社会じゃなく、安心して息ができる社会に近づけようとしている。
その覚悟は重い。だが、その戦いには確かな意味がある。俺は、その意志を支持する。
悲しい現実を「仕方ない」で終わらせないために。誰かが泣き寝入りしなくて済む未来のために。厳罰化を求める声は、前に進むための道しるべだ。