佐藤麻衣
今感じていること…それは、差別やヘイトという言論弾圧の言葉で、本質的な問題提起が封じられる風潮に、私は強い違和感を感じます。
もちろん前提として、ヘイトスピーチはいけない行為です。
だからわたしは、ヘイトスピーチの定義について確認してみる事にしました。
ですので、どのような言動がヘイトスピーチにあたるのか理解しています。
今ちなみに、現在、一部外国人による迷惑行為等で、日本の各地域で色々な苦しい思いや我慢に我慢を重ねている住民の方がどのくらいいるのでしょうか?
もしも、住民の方が困っていたり、怖い思いをした時、声を上げ、それがもしヘイトスピーチだと弾圧されてしまったら?
私達はどうなるでしょうか?
声を上げる事すら、ヘイトスピーチと弾圧される事になれば、どこに助けを求められるでしょうか?
答えは、どこにも助けを求められなくなります。
私たち住民の声は封ぜられ、私たち住民の声は殺されていく、、、
私たちの命や生活、安全を守ろうとする声までもが「ヘイト」のレッテルを貼られ、問題提起や議論すら許されない空気。
それは、民主主義の崩壊に他なりません。
真面目に納税をし、ルールを守り、日々の生活を懸命に営んでいる多くの日本人や、マナーを守って正規に日本に滞在する外国人が、どれだけ理不尽な思いをしているか。
移民政策と一体となったような形で、治安や公共サービスの質がじわじわと蝕まれていく今の日本の現状。
そこに「多様性」「寛容」という形だけは美名を掲げて蓋をし、声を上げると差別と弾圧することは、地元住民の現実の苦しみから目を逸らして、そもそも解決することから逃げています。
問題提起や議論から逃げていては、問題は何も解決しない。
差別・ヘイトと叫ぶ前にこの問題について絶対に向き合うべきです。
絶対に言論弾圧させてはなりません。
この問題から絶対に目を逸らすべきではないし、言論弾圧をして逃げてはダメです。
事実を訴える事、問題提起すら出来なくするのは、それは民主主義ではありません。
そうなる事は、民主主義の破綻です。
そんなの日本ではありません。
ヘイトスピーチの定義も満たしていない、理論的な根拠もないのに、ヘイトや差別という言葉を使って、一方的に言論弾圧することを、わたしは断固として拒否します。
相手方(外国人擁護活動家さま)から発せられる根拠のない“ヘイト”連呼こそ、それこそ私達に対する『ヘイト』行為です。
声を上げる人たちは、差別主義者ではありません。
「見て見ぬふりはもうやめよう」と、当たり前のことを訴えているだけです。
そして、何よりも大事なのは“事実”です。
事実に基づき、冷静に、しかしはっきりと主張すること。
それは分断ではなく、真の共存と秩序ある社会への一歩になると私は信じています。
最後に、ここは日本という国なのですから、表現の自由が認められます。
私達は絶対に言論弾圧・言論統制に負けてはいけません。
みんなで一緒に頑張りましょう。
長文失礼いたしました。