三浦紅子
生まれつきLGBTに悩む皆さんを差別する気持ちはありませんが、それを「良いもの」として学校教育等で推進するかの様な風潮がある事に疑問を感じます。あまりにも「LGBT当たり前」の性教育が行われる事で、「もしかして、自分もLGBT…?」と誤自認してしまう子ども達も相当数いると聞いています。それは、実は一時的な感情であったり、医療機関等でのカウンセリングなどにより、実はそうではなかった、と一般的な感覚に戻っていく人も多いと聞きます。その様な中で、男性と男性、女性と女性に対して一つの「家庭」として認める事に意味があるのでしょうか。そこに育てられる子どもの混乱まで考えてあげていますか?一緒に暮らしたいならそれで良いではないですか。責任を持って子どもを産み育てていく昔からの婚姻制度と同じ権利や価値を与える必要性が、果たして本当にあるのでしょうか?これは、婚姻制度や家庭という、国の根幹たる考え方を大きく揺るがす事態になりかねません。実際、一時的恋愛感情でパートナーシップ制度を利用したものの、すぐに別れてしまうカップルも多いと聞きます。
勿論、差別はいけませんが、メディア等によるLGBT同調圧力のため、「もの言えぬ」国会、社会、教育会、スポーツ会になってはいませんか?
男性の身体を持ちながら「自分は女性」と申告して女子陸上会で金メダルを取り続け、女性の身体を持つ選手がどんなに頑張っても金メダルが取れない事態を、おかしいと思われませんか?この事態をそのままにしておくつもりでしょうか?この様に「性自認」を基調とする社会にはたくさんの問題点が現れる事でしょう。行政機関の皆様は、この様な事態をどの様に収拾されるのでしょうか?もう一度考え直す必要があると思われます。