経過報告

どうも、市民審議会の片岡です。
僕も普段ノーマスクですが、この3年間で3、4回ほど、見知らぬ人から「マスクをしてください」と言われたことがあります。
空港、市役所の中が2回で、あと2回は、車で簡単に行ける距離のコンビニの店員さんです。
このコンビニがマスク圧が強く、張り紙バリバリ、店員さんもノーマスクの人を見つけるとダッシュできて、「マスクをしてください」と言いに来ました。
しかも、かなり威圧的な感じ。
1回目は店員さんの個人的な態度かと思っていたんですが、2回目も別の人も同じ対応だったので、オーナーの意向が強いんでしょうね。
また、ワクチンのことになると、SNS上のゆるいつながりの友人や、親戚などのゆるいつながりの中にも声高に接種を勧める人がいたりしませんか?
接種を勧めるだけではなく、接種しない人をダメな人だと認定する、あまつさえ感染が収まらないのは、接種をしない人たちのせいだと強烈に批判する。
そんな人たちもいます。
で、実際のところ、声高に威圧している人は、医師免許もなく医療従事経験もなく、医学的な見識の浅い人だったりするわけです。
具体的な話はしないし、質問しても正面から答えられない。
それなのに、声高に威圧してくる。
「マスクをしろ、ワクチンを打て」と言ってくるわけです。
金融や経済、政治の世界でもこういった人はいますが、保健になると、人の行動や自由を極端に制限することにもつながるので大問題です。
こう言ったことが起こる原因は何か?
その根っこには、倫理観を蔑ろにし続けた医療の暴走があります。
健康とは本来、個人が自らの人生をより良く生きるためのリソースなんですが、医療に倫理観が伴わなかった結果として、健康が法的義務に置き換えられてしまった状況があります。
健康でなければならない社会的な要請、これを「バイオセキュリティ」と呼んだりします。
先に出した、マスクしろ、ワクチン打てと他人に言ってくる声高な威圧者が生まれるのは、このバイオセキュリティが高まっているからだと考えられます。
健康でなければならない社会的な要請、健康が法的義務となる社会。
社会的な要請、法的義務というのは、多くは政府方針によって決まってきますから、権力に根付いたものです。
だから、孫がおじいちゃんに塩分をとりすぎちゃダメよ!と強く言える環境が出来上がります。
糖尿病だけどお饅頭を止められず隠れて食べる人に ”ダメ人間” とレッテルを貼ってしまう環境です。
糖尿病とお饅頭に関しては、それなりの因果関係があると考えられますが、今回のコロナに関しては、その因果関係も怪しく、ワクチン接種後の副反応や接種後死亡者数に関しては、かなりの相関関係が明らかになっています。
その権力主体が示す方針を検証せず、検証した結果おかしな点が見えても異議を唱えず、ただただ無自覚に流されて従ってしまう。
「それは、悪である。」
と、信念の倫理を説いたイギリスの哲学者クリフォードは言います。
不用意に何かを信じて行動することは、他者にも影響を与え、社会に誤った行動が拡がるきっかけになります。
1月28日(日)、國部先生のオンライン講演会があります。ぜひ、コロナを清算するきっかけにしてください。
お申し込みも増えているので、お早めにどうぞ。
1月28日(土)ワクチンの境界 - 権力と倫理の力学 - 出版記念講演会