経過報告
どうも、市民審議会の片岡です。
昨日、紹介した「國部先生のnote 100分の1の倫理」
https://note.com/kokubu55/n/nc37e3cd64fba
その中に江戸時代の種痘医の話が掲載されています。
種痘医というのは、天然痘の治療を行なっていた医師で、種痘に関しても専門になっていたはずです。
その中で、江戸幕府管轄の医学館痘科教授の池田家当主であった池田瑞仙は、このように言っています。
「若し誤ちて百中一二人殺すとも,其の罪全く種師(種痘した医師)に帰すべし」。
(もし誤って100人中1人、2人でも死んでしまったとしたら、その罪は種痘を行った医師が負うべきだ)
池田瑞仙は、種痘(天然痘ワクチン)に反対し、予防よりも治療に専念すべしというスタンスをとっていました。
天然痘に罹って死ぬのは、人の天命としても、その病気の予防で人が死ぬことは許されないという倫理観に基づいた発言だそうです。
種痘は日本では、1848年にもたらされ、天然痘は1956年に国内の発生はみられておらず、種痘も1980年(昭和55年)に法律でも廃止されました。
それ以前の昭和生まれの人のほとんどが種痘を経験されていると思います。うちの両親も種痘の跡が腕に残ってました。
天然痘(痘そう)とは - 国立感染症研究所
https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/445-smallpox-intro.html
しかし、この種痘に関しても、10万人から50万人接種あたり1人の割合で脳炎が発生し、その致死率は40%もあったそうです。さらに、種痘の副作用として全身性種痘疹として重度の湿疹が出ることも。(国立感染症研究所より)
江戸時代には、種痘が原因で子どもが死ぬこともあり、一揆につながったという話もあります。が、明治以降、急速に西洋化する社会で、合理主義的な考え方が世論を占めていき、推進派の意見が支配的になっていったそうです。
”みんな” を守るために、少人数の犠牲は仕方ない。
人が死にそうになれば、人工呼吸や心臓マッサージをしてAEDをつけて電気ショックを流す。救助のために高度な治療が必要になれば、ICUで人工呼吸器や人工心肺も使用する。
人一人の命にそこまで向き合う医療者の間でも、ワクチンの話になれば副反応が一定割合出ても仕方がない、それで人が死ぬことがあっても仕方ない、という言説が多く出てきます。
”みんな” を守るために、少人数の犠牲は仕方ない。
医療者は予防医学と医療の実践において、人一人の命をどのように捉えるのか、改めて考えてほしいところです。
「若し誤ちて百中一二人殺すとも,其の罪全く種師(種痘した医師)に帰すべし」。
江戸時代の医師の言葉には重みがあります。
参考
・種痘という〈衛生〉: 近世日本における予防接種の歴史
週末に、國部先生のオンライン講演会があります。ぜひ、コロナを清算するきっかけにしてください。お申し込みも増えているので、お早めにどうぞ。
1月28日(土)ワクチンの境界 - 権力と倫理の力学 - 出版記念講演会
https://v-ethics-0128.peatix.com/view
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