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福島原発事故すべての避難者に救済を

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福島原発事故すべての避難者に救済を

  • 提出先:福岡高等裁判所
  • 担当者:第1民事部 裁判官
  • ※担当者は提出先の機関内の担当者や関係者を想定しており、提出先を想定しています。本活動と直接関りがない前提でのご記載です。
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作成者:福島原発事故被害救済九州訴訟

活動詳細

20113月の福島原発事故によって、多くの人が故郷を失いました。避難をしなければならない地域に住んでいた人たちは、すべてを手放し慣れない土地へ行かざるを得ませんでした。また、放射能による環境汚染という問題により、福島には今でも住むことができない地域が存在します。原発事故により、思わぬ方向に人生を動かされ、住み慣れた土地やコミュニティを離れざるを得なかった人たちがいます。

 

しかし、原発事故の被害を受けたのは、国によって避難を指示された人たちだけではありません。いわゆる「自主避難者」は、国が決めた避難すべき地域以外の場所に住んでいた人で、自身の判断でその場所からの避難を決断した人たちです。この「自主避難者」が受けた被害が忘れられてはいないでしょうか?今でも約30,000人の「自主避難者」が全国各地に散らばり、原発事故から10年間、日常生活の見えないところで様々な苦しみを経験しています。確かに、「自分の判断で起こした行動の責任は自分で取るべき」という考えはある意味その通りかもしれませんが、避難という決断に至るまでの状況と背景にも目を向けるべきではないでしょうか。原発事故当時は、発電所から漏れ出した放射能の影響がどのくらい(程度的に)、またはどこまで(地理的に)あるのか、誰も正確に知ることができませんでした。事実、国が発表した避難すべき地域の範囲も時間とともに変化していました。そのような不安定で差し迫った状況下で、「自主避難者」は自分と自分の家族の命を最大限守るための方法として、避難を選択しました。原発事故の影響を受けたからこそ、避難という判断に至ったのです。

 

この「自主避難者」による避難の正当性が、先の福岡地裁の判決では全面的に認められなかったため、私たちは2021624日から国と東京電力を相手に福岡高裁での控訴審を進めています。原発事故から10年経った今なら、危険な地域と安全な地域をある程度正確に区分けすることができるかもしれません。しかし、10年後の基準によって10年前の避難という行動に対して「間違っている」と言うのはあまりに酷ではないでしょうか。

 

この文章を書いている私も、原発事故当時は福島県いわき市に住む中学一年生でした。原発についての知識はほとんど持っていませんでしたが、「原発が爆発した」というニュースを聞いた時は、広島やチェルノブイリを思い起こさせるようなはっきりしないながらも確かな恐怖を感じたことを今でも覚えています。親に連れられて九州へ避難した私でしたが、原発事故をきっかけにそれまでの日常生活が大きく変化しました。故郷を離れ、友達と別れ、新しい土地での人間関係に苦しみ、将来の夢と目標が変わっていきました。これらはすべて、純粋に私たちだけの責任なのでしょうか?

 

福島原発事故すべての避難者に救済を、司法による正当な解決を求めるため、署名にご協力いただけると幸いです。また、この文章が、福島原発事故による被害や、原発をはじめとした原子力技術の利用についての自由で開かれた対話のきっかけとなればと願っています。

新着報告

2022/03/30
2022年3月28日

事故から11年が経ちました。
しかし、爆発した原発の後処理は終わる目途すらたたず、被害者は救済されない
ままです。あの事故で避難してきた避難者、事故後10年経ってやっと声を上げ
ることができた人たちがいます。
2021年9月9日、福岡地方裁判所に新たに7名の避難者が提訴し、原告に加
わり、今日、その第2回目の裁判が行われました。
チェルノブイリの原発事故から福島第一原発事故まで25年、国と東京電力は原
発の安心安全をうたってきました。
福島第一原発事故から11年、国と東京電力は被害者の救済すらできていません。
被害者の切り捨てを認めないために、今後、こちらの訴訟も一緒に支援していた
だきますようお願いいたします。


2021/06/28
2021年6月24日、控訴審が始まりました。

原告代表の私が驚いたのは、被告・国は今後、今現在福島がいかに安全かを主張する予定だ、ということです。

仮に、仮にもし、今、福島がもし安全だとしても、だからと言って、10年前に避難する必要なんかなかったということにはならないはず。そんな論理は成り立ちません。

論点は、10年前、福島がいかに危険な状態だったか(故に避難することが正当である)という所が論点のはずです。

唖然、です。

ぜひ、皆様のお声を(お力を)頂戴させてください。


メッセージ

2021/05/08
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taka
ありがとうございます

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