岡元 公一
本邦外出身者、すなわち外国人の血を引く人を差別してはいけないというのは、つまり人種差別に反対するということです。しかしその一方で本邦外出身者以外の人は守らなくてもいいということは、血筋によって人に差をつけるという、まさしく人種差別的発想そのものではないでしょうか。人種差別に反対する条例で人種差別を行うなど、本末転倒どころか害悪でしかありません。
しかし『全ての差別に反対する』という条例なら人種差別になることもなく、また本邦外出身者も等しく差別から守られることから何も問題はないはずです。
それでもなお本邦外出身者『だけ』を守ることにこだわるのならば、逆に外国の血が入ってない日本人を保護対象から外したいという差別感情の現れであり、それこそが本邦外出身者でない日本人を差別から守るべき根拠といえるでしょう。
また氏名の公表に関しても行政が行う措置としていかがなものでしょうか。例えば人助けをして表彰された人が氏名の公表をされても、それは何らかの罰則にはなりません。しかしヘイトスピーチで氏名の公表がされれば罰則となります。その違いは、悪意を持った第三者による攻撃があるかないかという話になると思います。
この高度に発達した情報化社会において氏名が公表されれば住所や職場学校の特定までされる可能性は否定できません。そしてそれによるいじめや嫌がらせなど二次被害が起きる可能性もあります。だからこそ氏名の公表が罰として成り立ちます。
行政は本来、住民が安心安全に暮らせるよう犯罪などが起きないような対策をするべき立場のはずです。しかし氏名の公表は逆に犯罪的な二次被害を誘発するものです。これはどう考えてもおかしいのではないでしょうか?確かに差別的発言は良くありませんが、それは行政主導の元、住民同士による私刑が行われても致し方ないほどのものなのでしょうか?その結果として何らかの事件が起きたとして相模原市は責任を取ることができるのでしょうか?
いくら、差別に反対する、という綺麗な看板を掲げたところで、本邦外出身者だけを守ったり氏名を公表したりすれば結果はまるで逆、差別を生み出す原因にしかなりません。日常的な差別が確認されない相模原市で差別を生み出すだけの条例ならない方がいいです。それでも条例を作るのなら、公平で氏名の公表や罰則のない条例でなければなりません。