石坂匡史
山の者とも海のものとも分からぬm-RNAワクチンを国民の8割が接種して、結果、接種開始から3年間で40~60万人の超過死亡が出ている。現在に至るまで、ワクチンの有効性と安全性について統計解析的な裏付け証明がなされていないのは一体どのような冗談だろうか。我が国の物事に対する誠実さ、厳密さをもって、オールジャパンで任務遂行に当たれば、この世のおおよその謎について、確度の高い科学的合理的推論を導くことが可能だと確信している。本気の日本が接種開始から1年あれば、ありとあらゆるデータを集め、解析し、有効性と安全性に関するワクチンの善悪を評価できたはずだ。それが日本という国だ。ワクチンに限った話ではないが、本来の新薬開発時には、異常と言えるほどの厳密さとクオリティが求められる。国(厚労省、総合機構)は製薬メーカーにそれほどの厳密さを求めるのがスタンダードであり、その評価データは様々な動物実験と倫理的人体実験(治験)から得られる恐ろしく手間のかかる価値あるデータなのである。新薬の開発コンセプトに沿って、理論上は「こうなる」という作用機序がいくら明確になっていようが、あくまで理論上であって、薬効発現時に、望む主作用以外の副作用を起こさない保証などどこにもない。だからこそ、期待する主作用が一定の効果を発揮するか有効性評価が行われ、またそれ以上に重要なのが、主作用の期待を覆すような望まぬ副作用がないかを確認する安全性評価だ。もし、それらの評価が厳密に完了していない机上の空論だけで語られる薬物があったなら、ひとがそれを「生物兵器」と言って何か差し支えがあるだろうか?科学者が向き合う真実の事象証明とはそれほど厳密なものであり、だからこそ、厳密な評価を完了させた成果は世界で価値あるものとして扱われる。その最たる例が医薬品である。今回のワクチンは、机上論理はさておき、ドブ水かも小便とも分からない得体のしれないものであった。厳密な有効性及び安全性データが皆無の状態でその未知なるものを接種したのである。本来打つべきでは決してない段階で、国は殊更「安全」を叫び、そして実にもったいぶった態度で、国民に迫る死の恐怖を演出し煽りながら、ある意味スマートに、また強引に、ほとんどすべての国民に打っていったのである。しかし政府はワクチンデータを解析するどころか、全国民の有効性と安全性に関わる解析対象データを3年経った現在に至るまでまるで集積していない。そもそも集めていないのである。日本人にとって命を天秤にかけた一世一代のギャンブル(ワクチン接種)に引きずり込んでおいて、政府はその後には興味はないのだろうか?政府の金言を素直に信じてワクチンを打って、結果死亡した方々の思いは一体どこにいくのだろうか。新薬開発時、動物実験や試験管レベルで特に問題なくても、人体実験において思いもよらない副作用が出ることは普通である。むしろ「ない」なんてことはないのである。注目は、一番は安全性であり、どんな副作用が起きるのか、特に致命的な副作用がないかは最も関心度が高い。効果がいかにあろうとも、接種して「死亡」ではまったく意味がないのである。通常、医薬品開発において、医薬品との直接の因果関係で「死」に至る実例が出たら、その場で医薬品開発は中止となる。アナフィラキシーショック以外、ほぼ例外はない。直接の因果関係死は言い分けなく「詰み」なのである。では、今回、直接の因果関係死の疑われる報告はなかったか?コロナワクチン接種後、ウイルス感染で亡くなった一部の方を除き、超過死亡者が数十万人もいる事実をどのように理解したらよいのだろうか。政府は、厚労省はどのような見解をもっているのか。仮に裏にどんな汚い理由があるかは知らないが、政府がデータ解析を拒む理由とは一体何か。私には人間の一番汚い強欲と悪意しか見えない。ワクチンの真実を国民の関心から反らし続ける理由とは一体何だろうかと日本国民はぜひ自問すべきだ。「陰謀論」という便利な言い訳の言葉を政府はよく使うが、ではなぜ国民の側から「陰謀論」と形容されるものが出てくるか。それは、確たる事実に基づく真実が明らかにされていないからだ。物事に事実に基づく評価がされていない段階では、確度は別として、すべての意見に真実の可能性があることになる。目の前に大きな災厄があるとき、その解決には原因解明が原理原則たる筋道である。すべての可能性を排除せず、正しく恐れることが大切である。
今回のコロナ禍で行われたワクチン接種は結論を早まるが「悪である」と私は断じる。少なくとも、そのやり方は悪であった。あるかもはっきりしない有効性だけ語られる一方で、最重要な安全性データが国民に丁寧に報道されることは皆無だった。ウイルス感染死だけは事細かく報道されたが、ワクチン接種死については言論規制が行われ報道から一切が削除されていた。
ワクチンの扱いは決して拙速ではならない。間違いは「死」につながるからだ。静注でなくとも、皮下注でもすぐに血流にのり、副作用は全身性、全臓器で発現する可能性がある。ただでさえ、ワクチンは抗体産生を行う劇的なものであるのに、安全性と有効性で担保がないワクチン接種が、いかに生命を危険にさらす行為か真剣に理解しなければいけない。しかし、それを分かった上でのことなのか、ワクチン施策は現在進行形で強引に推し進め続けられている。この致命的で鬼畜な政府、厚生労働省の所業は断じて許されるべきではない。仮にこの後、歴史が、「このワクチンが多くの人が救われたんだ」と評価することになったとしても、人の尊厳を軽視する現在のワクチン行政のやり方は断じて認めることは出来ない。少なからぬ国民が死んでいる。国が負の側面を公明正大に伝えることなく、それを国民が誤って理解し、誤った決断をした国民がいたならば、真実を闇に覆い隠しながら未だにワクチン接種を推し進める政府要人、関係閣僚及び厚労官僚は万死に値する。
現在、ウイルス感染で亡くなる方は決して多くはない。他方、ワクチン死が強く疑われる事例が数多く報告される中、現行ワクチン及び新規レプリコンワクチンを接種するということは、いつ出るか分からないロシアンルーレットを永遠、弾が出るまで根気よく引き金を引き続ける自殺行為と言って差し支えないだろう。
未だに何が正しくて、何が間違っているのかは明確にはなっていないが、自らの経験や知見に基づき、未知なるものに正しく向き合うためには、権力者の言葉よりも、自ら生物としての本能的な直感をより働かせるべきだ。私の直感は断言している。今回のコロナワクチンは危険であり、打つべきではないと。そして、自己増殖型レプリコンワクチンは更に危険である可能性が高いと。死を回避しようとする本能からくる直感が明らかに「危険だ」と言っている。
国民は周囲の雰囲気に身を委ねることなく、流されることなく、しっかりと自分の頭で考え、自らの判断でワクチン接種をやめるかどうか決断すべきだ。すべての状況を素直に判断すると、ワクチンは、打たないよりも打つ方が死ぬリスクが高くなると私は評価する。
亡くなった人の遺族と後戻りできないワクチン副反応に人生を狂わされ苦しむ人が、いま勇気を持って国に対して大規模訴訟を始めた。目を背けている場合ではない。
気付け、日本人。